アニメ

2012年12月31日 (月)

グスコーブドリの伝記⑤

ネリを奪っていった(連れていったが正しいか…)コトリの存在。

成長を遂げたブドリの前にもこのコトリが現れます。


あの恐ろしい冷害再来の予感に、火山を噴火させ炭酸ガスを噴出させることでねらう温室効果(パンフによると実際は難しいようですが)でもそれをするためには誰かが1人残らなければなりません。そしてブドリは自らその1人になりました(でもなんというか、この辺のやりとりはハッキリと表現されていなかったような…)


監督・脚本の杉井ギサブローさんも述べてますが、これは自己犠牲という一言だけでは語れない何かがあるように思いました。


ブドリは冷害によって変わりゆく家族の姿を身をもって知ったからこそ、それが本当に辛いことだったからこそ、あの究極の悲しみを他の誰にも味わわせたくなかったのではと思うのです。成長してゆくうえで出会った人々、その笑顔を奪いたくなかったのではないかと思うのです。そんなブドリの優しさを象徴するように童話にはとても印象的な言葉が残っていました「私のようなものは、これから沢山できます。私よりもっともっと何でもできる人が、私よりもっと立派に、もっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」童話のラストもジンとします。なかなか時間がとれなくて読み返すことができていませんが、じっくりまた読みたいな〜と思います。

さて、コトリと共に姿を消したブドリ。そして現れる美しい大地と、聞こえてくる小田和正さん(オフコース)の曲『生まれ来る子供たちのために』この歌詞がまた色々考えさせられまして、この映画の制作期間の5年という歳月の間には大震災や様々なことが起き、そこで身を挺して動いて下さった、、、きっと本当に‘救いたい’という心で動いて下さった方々のことを思ったりして胸に染みました。


生きていると辛いことが沢山ありますが、グスコーブドリの伝記はまずその前に動物が生きてゆける環境がこの地球上にあることの有り難さをといてくれているように感じました。


なんにしても、もう一度見たいです。


銀河鉄道とはまた違う、それこそ伝記を読んでいるような映画グスコーブドリの伝記。ドキドキすると思いますが、子供たちが見るとやはり生涯に残る何かを得られるのではないかと思いました。


That's all.

2012年12月26日 (水)

グスコーブドリの伝記④

美しい絵に幻想的な雰囲気、そして愛らしくもどこか悲しげな猫たち・・・銀河鉄道の夜を彷彿とさせる画面を不思議な思いで見ていました。


ただ、、、これは本当に色々な映画で感じることなのですけれど、見る側にとっての絵とストーリーの比重性…そのどちらに重きを置くかは、とても難しいことだと思いました。


例えばどんなに絵が素晴らしくてもストーリーが良くなければ作品はつまらないものとなりますし、逆にストーリーが良くてもなんじゃこりゃ?な絵のせいで興ざめしてしまうこともあります。


で、私にとっての重きはどちらかというとやはりストーリーかな…と感じるのです。例えば昔のテレビアニメは単純な絵でも、展開によって面白くて仕方なかったりしますから。


ついでにもう少し掘り下げると、ジブリ作品はこの絵とストーリーのバランスが絶妙だと思いますし、ある意味どちらも最高域に到達したのが大友克洋監督の【AKIRA】映像の凄さでいえば押井守監督の【イノセンス】だと私は勝手に思っております。

…という感じなのですが、グスコーブドリの伝記はCGの使用など銀河鉄道の夜を見た当時から未来に来たことを改めて感じつつも、先の考えでゆくと銀河鉄道程のインパクトを与えられなかったのですよね…心に深く突き刺さってくるものがなかった。。。


それは多分私が大人になってしまったということも関係あると思いますし、まだ一度しか見ていないので改めて見たらまた何かを得られるかもしれません。。。

2012年12月16日 (日)

グスコーブドリの伝記③

ストーリーは原作と違う部分もありましたが、美しい映像の中に、やはり宮沢賢治独特の悲しみが含まれているように思いました。


特に序盤の豊かな森に住み温かなスープ(銀河鉄道の夜にも登場したトマトスープかしら?)を皆で囲む一家団らんの幸せな光景が、異常気象によって崩壊していくさまはなんとも悲しかったです。


…以前【銀河鉄道999】でも少しふれましたけれど‘家族’という存在は当たり前のようでいて実はまったくそうではなく、絶対に離れないようでいて離れてしまう儚きもの……これまでの経験から私にはそう思えますし、だからこそ近すぎて鬱陶しかったり特別に感じられないとしても、そばにある人は大切に、大切にしてほしいなーと思います。。。


話を戻しまして、、、


ブドリは大切なものを失いましたが、それでもたくましく生きてゆくことになります。そんな彼の成長とともに様々なシーンが登場するのですが、別の作品を思い出すような存在が登場したりで興奮しました。


例えば夢の世界の裁判所ではグループタックより制作を引き継いだ手塚プロの印象を色濃く感じましたし、イーハトーブの街ですれ違う人や…銀河ステーションでの一瞬の出会い──詳しくは書けないのですけれど、駅で登場する“3人”は【銀河鉄道の夜】でも登場した3人で、見つけた時私は「あ!」と声を上げそうになりました☆


まさかずっと心にあった大切な作品の登場人物と30年近くを経て再び触れ合えるとは思いもしなかったので、、、


人生とは不思議だなぁ〜と改めて思いました∞


さて、物語はクーボー博士の語りによって更に続いてゆきます。

2012年12月13日 (木)

グスコーブドリの伝記②

夜遅めに行った映画館は入場者も少なくほぼ貸し切り状態・・・つまりは、なかなかの不思議な雰囲気の中で見ることとなりました。


・・・ちなみに捕捉なのですが、大阪ウサギでこれまで記してきた作品たちは(休憩ものをのぞいて)何回か繰り返し見ているものばかりです。でも今回は映画館で見た一回きりなので浅い印象の中で書いております:-)


最初にまず感じたのは、絵がよく描きこまれているな〜ということでした。


主人公ブドリが暮らす森の豊かさを濃淡の違う緑が染め上げていて、日本のアニメ映像の素晴らしさがよく感じられるものとなっていました。


主人公ブドリの声を担当しているのは小栗旬さん、妹のネリを忽那汐里(くつなしおり)さんが担当されています。


どんな感じかしらと思いながら見たのですが、小栗旬さんに関しては【クローズZERO】という映画の、けだるげで強い不良少年役のイメージや芸能誌などを賑わせているイメージがあり、正直、初めのうちはなんとも違和感がありました。でも見ているうちに…言葉ではない声(例えばため息のようなもの)の発し方が上手で、物語が進むにつれて違和感は消えていきました。その後に地上波で見た映画【岳】の印象とリンクする気がしましたね。


それから新鮮な驚きだったのはネリ役の忽那汐里さんがとっても可愛らしかったこと。「うふふ」と笑うのは素人からしても難しいのではないかと思うのですが、ほんとに愛らしくて素晴らしかったです。


あと、物語の中に特別な雰囲気で登場するコトリ役の佐々木蔵之介さんも「おーほいほい」と、これまた不思議な言葉を発せねばならず、ともすれば少しユニークにも感じられてしまう言葉をしっかりと発っせられていました。


最近は俳優が声優をこなすことも多く、顔が浮かんでしまう派の私はどうにもなんとも複雑なのですが、皆さんさすがの演技をされていたと思います。

さて映画では、家族に守られ幸せな生活を送っていた兄妹があまりに悲しい試練を受けることとなるのですが、変わりゆく風景と共に悲惨な状況をじわじわと感じて大変辛かったです。。。

2012年12月 2日 (日)

【グスコーブドリの伝記】

「奇跡」という言葉を辞書で調べてみると“世にも不思議な事がら”と記されていて、人生においてそうそう起こらないようなイメージがあります(ありとあらゆることが奇跡といえば奇跡で、感謝せねばならないのですが)


テレビではこの文字をよく見る気もしますけれど、私が人生ではっきりと感じた(改めて思った)のは二度くらいかもしれません。


1つは芸能界などでとても美しい人を見た時。スタイルも顔も何もかもがパーフェクトに感じられて「これはもはや奇跡だ」と思いました。


そしてもう1つがこの作品との出会い方です。


前回まで書いていた【銀河鉄道の夜】は私にとって大切な作品で、映画館で見てから三十年近くを経て感想を書き始めました。まさかまた同じスタッフで製作された映画が上映されるなんて露ほども思わずに。


なのである日テレビをつけていて、ふと銀河鉄道の感想について考え何気なく見た画面の中に懐かしい猫の姿...ブドリの姿を見た時は「(あれ?ジョバンニ??)」と、とても驚きました。


それは【グスコーブドリの伝記】の紹介CMでした。


この時「ああ、、、奇跡ってあるのだなぁ」と強く思いました。

・・・考えてもみてください。

心の中の深い部分に大切にしまわれていて、時折思い出しては懐かしんでいた存在が、三十年という時を経て現在の自分の世界とリンクするんですから。。。


私は早速前売り券を購入し、上映開始となってから見に行きました。

2012年10月31日 (水)

銀河鉄道の夜⑩

共に旅した人たちが次々と去ってゆき、2人きりとなったジョバンニとカムパネルラ。。。


持っていた切符が違うことからも察するように、2人にもまた別れの時がやってきます……


この【銀河鉄道の夜】という作品は私にとって、多分、人生を左右する程に重要な作品となっていて、たいへん思い入れが深く、いつも以上に(下手ながらも)丁寧に話しを追いすぎてしまいました。

本当は作品の最後にして最大の山場である“石炭袋”をこと細かく書きたかったのですが……私の力量ではとても伝えきれるものではありません。それほどに切ないシーンとなっています。


悲しくて悲しくて、映画を見た時も強いショックを受けました。


うろ覚えですが、映画の紹介CMで流れたジョバンニの友の名を叫ぶ声…あれほど胸をつくシーンはありません。。。

実は私は人生において大切な人たちとのふいな別れを何度か経験していて、今でもこの映画の別れのシーンを見るのは大変辛いです。

いえ、私に限らずきっと多くの人がその人生において様々な別れを経験しているのではないかと思います。


人間って悲しいな…どうして別れがあるのだろう…私は時々そんなふうに思います。


自然の美しさ、奇跡的な存在である生命の素晴らしさ、宇宙の神秘、時の流れ………銀河鉄道の夜はそういった悲しさを静かに、美しく、そして力強く教えてくれていると思います。


さて、映画のラストでは明かりの灯った牛乳屋が表しているように、ジョバンニを取り巻く雰囲気が少し変わっています。と同時に辛い現実が待っていました。それでもジョバンニはカムパネルラのこと、光と影、全てを受け止めるかのように力強く走りだします。


流れ出すエンディング曲と共に聞こえてくる賢治製作の口語詩“春と修羅”の序の一節...いかにもたしかにともりつづける銀河交流電灯のひとつの青い照明です...

小さな小さな粒の集まりである人間とは世界とは──ある意味全て幻なのかもしれません。

温かく、そして切ない物語。


後世にずっと語り継いでゆきたい名作です。


That's all.

2012年10月15日 (月)

銀河鉄道の夜⑨

3人が登場したあたりから宮沢賢治の世界に更に深く入り込んでいくような気がしました。


青年の「なにがしあわせかわからないです」という言葉から始まり、ジョバンニの嫉妬のような少女への思い。


そして少女が語る蠍の火にまつわる話し。「どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう」…漆黒の闇に浮かび上がる蠍の赤い火は、恐ろしげな雰囲気をまといながらも悲しいお話しでした。

そうしているうちに、やがて汽車はサウザンクロスに到着します。

汽車に乗る多くの人々の目的地である場所。3人もまた降りなければなりません。


僅かな間でも共に旅した人との分かれ……男の子は降りるのを嫌がります。少女も後ろ髪をひかれるような表情。けれど「天上へゆくとこなんだから」という青年について汽車を後にします。

このシーンを見ていると、現実世界の“袖摺り合うも他生の縁”ということを考えずにはいられません。まったく別の人生を歩みつつ今同じ場所にいる人々…何をどうしたって会わない人は会わないわけですから、どんな形であれ同じ場所にいるというのは不思議な巡り合わせなのかもしれませんね。。。


そして映画の中ではっきりと示される銀河鉄道の意味。死をむかえた人々を天上へと導く列車。


長い長い人々の列が南十字へと向かいゆっくりと進んでゆくのでした。

2012年10月11日 (木)

銀河鉄道の夜⑧

銀河を走る鉄道に、初めて猫の姿ではない3人が乗り込んで来ます。


青年と少女と男の子。


カムパネルラと同じように、その体もまた濡れていました。


でもカムパネルラと違うのは、3人がそこにやって来るまでの情景がはっきりと映し出されることです。


淡々と語る青年の言葉とは裏腹に、それはあまりに悲しいシーンでした。。。


けれどその後の、座席に静かに座る子供たちの姿を見ると、辛い終わりを迎えた後にある世界が安らかで・・・私はホッとしつつ、こうであったならといつも思うのでした。。。

その後、香りの良いリンゴを分け合った後現れるトウモロコシ畑。

ここがなんというか、、、とても不思議な映像で、CGの先駆けのような・・・(何か別の技術のような感じもするけれど)初めて見た時、かなり衝撃を受けました。


あの広がり感、、、今見ても不思議でなりません。


で、聞こえてくるのが『新世界交響楽』日本語詞でいうと「とーおきーやーまにー」のあの曲。


これがもう心のキャパシティを越えるというか、切なさにつぐ切なさで、なにもかもがグッッとくるのでした。

ところで、今年私は銀河鉄道のスタッフが贈るファンタジー【グスコーブドリの伝記】を見たのですが、(まさか再びこの世界観が見られるとは思いもしなかった!のですが)この3人がなんと、登場しております!あっという間でしたけれど、見つけたとたん「あっ!」と思いました。

なんといいますか・・・人生には‘これだからやめられない’と感じる瞬間が時々あるものです。


2012年8月23日 (木)

銀河鉄道の夜⑦

列車の中で2人が出会う人々。


地上とはまた違うその出会いは、刹那を感じさせるものとなっています。


中でも‘鳥を捕る人’との交流は印象的で、捕えた鳥の試食をさせてもらうのですが、それが干菓子を連想させるお菓子のようになっていて私も食べてみたいな〜と思いました。でも捕獲シーンがあることによって“命あるものをいただく(銀河ですけど)”というのもきちんと伝わっているように思います。


そして他の登場人物、瞳が印象的で渡り鳥の景気をきいてくる人や、無線技師、その無線技師の拾うモールス信号が賛美歌だという女性・・・ここら辺は原作との違いがありますが、暗く静かな雰囲気で、更に白鳥区の終わりと共に見えてくるアルビレオの観測所も不思議な迫力があり「黒い測候所が、眠っているように、静かに横たわったのです」と原作にもあるように、暗い画面や回る球に何か底知れぬ恐怖のようなものを感じました。

さて、ここで車掌による検札が始まります。


買った覚えのないジョバンニは慌ててポッケを探るのですが、いつの間にか切符はそこにあって、しかもカムパネルラのものとは違っていました。


“本当の天上へさえ行ける”切符。
“幻想第四次を行く銀河鉄道ならどこへでも行けてしまう”切符。

「ねえ、僕たちはどこまでも一緒だろ?」と不安になるジョバンニの気持ちが更に胸を痛くさせました。

そして、鳥を捕る人とのあっけない別れ…原作でジョバンニは随分彼のことを気の毒がっているのですが、彼が幸せか不幸かは別にしても、人に対する言葉にするには難しい感情を表現しようとする宮沢賢治の独特の感性がよく出ているな・・・と思いました。

2012年7月25日 (水)

銀河鉄道の夜⑥

白鳥の停車場の空時間を利用して、列車を降りて探索を始める2人。


人の気配の有るような無いような、、、そんなホールを進んで、更に小さな扉の先の階段…そこをひたすら降りてプリオシン海岸にたどり着きます。


そこには美しい水辺が広がり、好奇心旺盛な2人は早速海岸へ。


時間は大丈夫なのかしら?と心配になりつつ、観察が始まるのですが・・・澄んだ水の底にある砂はくっきりと透明で、一粒一粒に小さな炎が宿り、すくうと手の中でキラキラと輝きます。クリスタルビーズのような可愛らしさと美しさ。私はこのシーンも大好きなのでした。。。

そしてここでは人らしい人(猫?)の大学士も登場します。それがなんだかホッとするといいますか、一息つけるような・・・そんな気がしました。あと、2人の仲の良さも安心します。


でもこの場所も遠目に見ると、胡桃の転がるなんとも不思議な場所なのです。。。


それから2人はようやく銀河鉄道へと戻ります。


戻りながらあらゆるものが変化し(朽ち)雄大な時の流れを感じさせるのでした。


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